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1180〜1232年|御家人と土地

武士が土地を守るための政治

土地の権利が暮らしと軍役を支える。御恩と奉公から、鎌倉幕府が裁判を重視した理由を知る。

持っている土地を守る御恩

武士が求めた御恩には、新たな土地をもらうことと、従来の土地の権利を認めてもらう本領安堵があった。所領の収入で家族を養い、装備を整え、軍役へ出る。権利を保証する文書は、暮らしと奉公の両方に欠かせなかった。将軍への忠誠も、家の基盤となる土地を守ってもらう関係に支えられていた。

将軍は土地の権利を保証する代わりに、御家人へ軍事奉仕を求めた。御恩と奉公は、権利の保護と奉仕を互いの条件にする関係だった。地域の所領を安堵するには、誰のどんな権利を認めるかを判断し、文書に残さなければならない。幕府の政務は、戦場で命令を出す以外にも広がっていた。

土地の争いを裁判で調整する

所領を保証しても、相続や境界をめぐる争いは起こった。複数の人が権利を主張するたびに武力で決着させれば、支配は安定しない。幕府は訴えを受け、武士の先例や慣習に照らして判断した。1232年の御成敗式目は、こうした裁判に使う基準をまとめた法だった。

御成敗式目は51か条から成り、武士の慣習をもとに権利と義務を裁く目安を定めた。現代の法律のように、社会全体へ一律に適用されたわけではない。頼朝が没した後も政務を続ける幕府には、担当者が代わっても判断に使える基準が必要だった。式目はその裁判を支える役割を果たした。

規則を書き写して次の時代へ伝える

神奈川県立公文書館が紹介する式目の写本は1574年に作られた。制定された1232年から三百年以上が過ぎている。紙には角筆で書いた文字もあり、後の読者が手を加えた跡も残る。幕府が滅んだ後にも、式目は裁判の基準として読み継がれた。法の成立年と、今残る本の制作年は分けて考える必要がある。

武士の暮らしと奉公は所領に支えられたため、土地の争いを裁くことは幕府の存続にも関わった。本領安堵で既存の権利を認め、それに応じた奉公を求める。相続や境界で争いが起これば式目を使って判断する。幕府は軍を率いる一方で、武士の日々の権利を調整する政務も担っていた。

前後の流れ

  1. 1180年

    頼朝が鎌倉を拠点に御家人を集める。

  2. 1199年

    頼朝の死後、継承をめぐる政治が動く。

  3. 1232年

    北条泰時が御成敗式目を制定。

言葉の意味

本領安堵
従来の所領の権利を認める御恩。
新恩給与
新たな所領や地位などを与える御恩。
御成敗式目
1232年制定の武家の裁判基準を定めた法。

史料から分かること

御恩には既存権利の保証も含まれる。

文化デジタルライブラリーが本領安堵と新恩給与を区別する。

史料だけでは分からないこと

御恩を新しい土地の授与だけにしない。

式目は武家の慣習と先例を基準にした。

公文書館が51か条と権利・義務を説明する。

史料だけでは分からないこと

全社会の法が一斉に置き換わったとしない。

理解を確かめる

答えを選ぶと解説が表示されます。本文や資料を読み返しながら考えてみよう。

1. 御家人が以前から持っていた土地の権利を認めてもらう。これはどの御恩?

参考資料

  1. 御家人たちと鎌倉殿鎌倉市

    頼朝に集まった人々、継承と北条氏。

  2. 中世資料・御成敗式目神奈川県立公文書館

    1232年の成文法、御家人の権利・義務と裁判。

  3. 時代背景・家人から御家人へ日本芸術文化振興会

    本領安堵、新恩給与、御恩と奉公。