PASTEXPERIENCE HISTORY

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1800〜1821年|測量から地図完成へ

伊能図はどう測って作られたか

沿岸を歩いた測量と星の観測をどう一枚の地図にまとめたのか。忠敬の死後も続いた測量隊の仕事。

動かしてわかる歴史

測った道を地図の線にする

距離だけが分かっても、海岸線の形は描ける?

海岸を進む測量隊が、測る縄と方位の道具を使い、距離と向きを野帳へ記す。
01地上で測る
距離の測定方位野帳

短い区間をつなぐと、道の曲がり方が見える。

距離と向きの両方が必要

道に沿って距離と方位を記録する。同じ長さを進んでも、向きが違えば着く場所は変わる。曲がるたびに記録を重ねることが、地図の線の材料になる。

図解の根拠と見方

工程や制度を説明するためのイメージです。人物・建物・配置は実物の復元ではありません。断面や別枠の場面は、見えない部分や別の場所を説明しています。

伊能忠敬とは ↗伊能図 ↗

地上で測る

100%

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海岸を進む測量隊が、測る縄と方位の道具を使い、距離と向きを野帳へ記す。

海岸を進む測量隊が、測る縄と方位の道具を使い、距離と向きを野帳へ記す。

商家の仕事から天文学へ

忠敬は1794年に家督を譲り、翌年から江戸で学んだ。1800年には東北と北海道南部の測量へ出発する。曲がった海岸線を地図に描くには、距離とともに進む方位を測らなければならない。測定をつなぐうちに重なる誤差は、星から求めた緯度などと照らして確かめた。徒歩の実測と天体観測を組み合わせた調査だった。

進んだ距離と方位が分かれば、前の地点から次の地点を図の上へ置ける。ただし、測り続ける間には小さな誤差が積み重なる。そこで天体を観測して緯度などを求め、地上の記録を別の基準で確かめた。星の観測だけでは道の長さは出せず、歩いた距離だけでも全国の位置は決まらない。それぞれの観測値を照合してずれを調整した。

距離と方位を測り星で位置を確かめる

測量隊には器具で測る人と、結果や道順を記す人がいた。測定値を地図にするには、どの地点の数字かをそろえ、前後のつながりを確かめて線と形にまとめた。香取市には器具と日記、地図が伝わっている。これらを比べると、旅先の測定がどう記録され、図へ仕上げられたかを調べられる。

全国測量は複数の隊員で進められた。1815〜1816年の伊豆七島の調査には、忠敬自身は参加していない。隊員が持ち帰った測定値と記録も地図にまとめられ、調べた範囲は本人の歩いた経路より広くなった。「伊能図」の名で知られる成果は、すべてを忠敬が一人で測り、描いた地図ではなかった。

死後にも続いた完成と保存

忠敬は1818年に没したが、調査の記録を組み上げる作業は続き、1821年に地図が完成した。大図・中図・小図は縮尺が異なり、一枚で見られる広さと細部の量も違う。大きな図をそのまま縮めるだけではなく、用途に合わせて残す情報を選んでいた。現地の測量を終えた後にも、こうした編纂の仕事があった。

国立国会図書館には伊能図の模写本も収められている。明治初期に写した大図は、全214枚のうち43枚が伝わる。これは江戸時代に測った範囲の広さや、完成図全体の枚数とは区別する必要がある。測量と完成の後にも、人々が図を写して保管した。一枚を見る際は、描かれた土地の調査時期と、その紙が作られた時期を確かめたい。

伊能図は大図214枚、中図8枚、小図3枚で構成された。縮尺を変えることで、細部を詳しく示す図と広い範囲を見渡す図を作り分けた。図上の長さを実際の距離へ換算する際には、その縮尺が必要になる。また、写図では制作年と調査した年代が違う場合もある。線に描かれた土地の情報は、測量に加え、編纂や複写を経て伝わった。

1804年には東日本の沿海図が幕府へ提出された。その後も四国や九州などを調べ、測量の範囲を広げていった。1821年の完成図に描かれた全国を、初めの調査で測ったわけではない。各回の経路をたどると、途中の成果を引き継ぎながら調査が進んだことが分かる。長い距離を歩く隊と、持ち帰った記録をまとめる組織が精度を支えていた。

前後の流れ

  1. 1795年

    江戸で高橋至時に学ぶ。

  2. 1800年

    最初の測量に出発。

  3. 1818年

    忠敬が死去。

  4. 1821年

    地図が完成し幕府へ献上される。

言葉の意味

方位
対象や進路がどの向きにあるかという角度。
緯度
南北の位置を示す値。天体観測も基準になる。
縮尺
実際の距離と地図上の距離の割合。

史料から分かること

地図は忠敬の死後に完成した。

香取市年表は1818年没と1821年完成を分ける。

史料だけでは分からないこと

忠敬一人が完成品を描き終えたとしない。

現存図の多くは副本や写本である。

図書館が正本の喪失と伝存系統を説明する。

史料だけでは分からないこと

一枚の図を無条件に献上正本としない。

理解を確かめる

答えを選ぶと解説が表示されます。本文や資料を読み返しながら考えてみよう。

1. 海岸線を測った記録に距離と方位がある。さらに星を観測したのはなぜ?
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参考資料

  1. 伊能忠敬とは・年表香取市・伊能忠敬記念館

    商家から天文学、1800年測量、1818年没、1821年完成。

  2. 伊能図国立国会図書館

    縮尺と範囲、正本の喪失、現存する副本と写本。

  3. 伊能忠敬関係資料香取市

    日記・測量器具・天体観測と緯度。

  4. 伊能忠敬記念館だより第6号香取市 伊能忠敬記念館

    1800年の第1次測量隊、東北から北海道の海岸への経路。

  5. アーカイブ香取遺産 Vol.041〜050香取市

    50歳で江戸に出て高橋至時に師事、1800〜1816年の測量、1821年献上。