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1791〜1804年

ハイチ革命と独立

奴隷制の植民地で始まった反乱は、フランスからの独立につながった。

砂糖とコーヒーを支えた強制

サン=ドマングの砂糖とコーヒーは、奴隷労働によってヨーロッパへ富をもたらした。白人植民者の王党派と革命支持派、権利を求める混血の自由民、奴隷にされた人々は立場が違った。1791年の大規模な蜂起は、この格差の中で当事者が起こした。本国で自由が語られても、植民地の人が同じ自由を得たわけではない。

反乱から複雑な戦争へ

1793年に植民地で解放が宣言され、1794年にはフランス政府が奴隷制廃止を認めた。しかし1802年のフランス軍派遣は自由を脅かし、ルーヴェルチュールを捕らえた。彼は独立前に亡くなり、デサリーヌらが抵抗を続けて1804年の独立へ進んだ。奴隷制を終えることと、フランス支配を終えることには時間差があった。

独立しても続いた承認の問題

1804年の独立後も、他国から対等な国家として認められるには時間がかかった。フランスは1825年、軍艦の圧力を背景に旧植民者への巨額の補償を求め、支払いの借款も負担になった。アメリカの正式承認は1862年である。独立を宣言した後も、外交上の承認や経済的な自立に向けた課題が続いた。

前後の流れ

  1. 1791年

    大規模な反乱開始。

  2. 1794年

    フランス政府が奴隷制廃止を承認。

  3. 1802年

    フランス軍が介入、ルーヴェルチュールが捕らえられる。

  4. 1804年1月1日

    ハイチ独立宣言。

  5. 1825年

    フランスが旧植民者への補償を条件に独立を承認。

  6. 1862年

    アメリカがハイチを承認。

言葉の意味

奴隷制
人を所有物とし労働などを強制する制度。
独立宣言
別の支配から離れ国家を作ることを公に示す文書。
国家承認
他国が独立国家として扱うこと。

史料から分かること

自由を掲げるフランス革命と、植民地の奴隷制は矛盾していた。反乱をヨーロッパの思想が自動的に届いた結果だけで説明しない。

奴隷制下の反乱、フランスとの戦争、1804年の独立と承認問題。 1804年1月1日の独立宣言の印刷物を含む所蔵史料。

史料だけでは分からないこと

植民地側の全員が同じ立場だったわけではない。

ルーヴェルチュールとデサリーヌは異なる段階の担い手だった。個人の名前を時期に結びつけると、長い闘争を一人の物語に縮めず読める。

奴隷制下の反乱、フランスとの戦争、1804年の独立と承認問題。 1804年1月1日の独立宣言の印刷物を含む所蔵史料。

史料だけでは分からないこと

宣言の文章だけで全参加者の経験は分からない。

理解を確かめる

答えを選ぶと解説が表示されます。本文や資料を読み返しながら考えてみよう。

1. 1794年の奴隷制廃止と1804年の独立は、なぜ分けて押さえる?

参考資料

  1. The Haitian Revolution, 1791–1804U.S. Department of State, Office of the Historian

    奴隷制下の反乱、フランスとの戦争、1804年の独立と承認問題。

  2. Haitian Government noticeThe National Archives (UK)

    1804年1月1日の独立宣言の印刷物を含む所蔵史料。

  3. ハイチ独立とフランスが課した債務Bibliothèque nationale de France

    1793〜1794年の奴隷制廃止、1825年の条件付き承認と旧植民者への補償。