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1206〜1368年を中心に

モンゴル帝国を動かした道と人

征服の被害と、帝国のもとで広がった交流を知る。

草原の勢力を帝国へ広げる

モンゴル帝国の拡大は遠方との交流を活発にしたが、征服には激しい破壊が伴った。1206年の統合後、オゴデイら後継者にも征服は続き、都市の破壊、住民の殺害、職人の強制移送を伴った。後の交流の活発さで、その被害を相殺することはできない。

駅と職人がつなぐ領域

駅では旅人や馬に補給を行い、次の区間へ送り出した。中継拠点を結ぶ仕組みが、広い領域への命令伝達を支えた。各地の専門家も帝国を支えたが、職人の移動には本人の意思に反するものもあった。

宮廷は中国の儒学者、チベットの仏教者、各地の医師と天文学者を用いた。大都と上都の建設、運河の延長も地域の知識を集める仕事だった。外国出身の助言者と職人を使うことは、支配の技術を増やす一方、本人に同じ自由と利益を与えたとは限らない。

交流と強制を同じ歴史で読む

帝国の地図が大きくても、継承をめぐる対立と地域の政治は消えない。元の中国支配が1368年に終わることも、全モンゴル系政権の同時終了ではなかった。交流の実態は、地域や時期、旅をする人の立場によって異なっていた。

前後の流れ

  1. 1206年

    チンギス・ハンの統合。

  2. 1229〜1241年

    オゴデイ期の征服拡大。

  3. 1258年

    モンゴル軍がバグダードを征服。

  4. 1368年

    中国で元の支配が終わる。

言葉の意味

駅
人や命令の移動を中継する拠点。
後継
前の支配者の権力を引き継ぐこと。
パクス・モンゴリカ
モンゴル支配下の交流の安定を表す呼称。全被害の否定ではない。

史料から分かること

チンギス・ハンの死後も征服は続き、オゴデイ期には領域が大きく広がった。時期を分けると全帝国を一人の生涯の地図と混同しない。

支配、交易、職人、強制と文化交流の全体像。 学問の支援、道路と駅、各地の助言者。

史料だけでは分からないこと

単一の原因で征服を説明する合意はない。

道路や駅は通信だけでなく人と技術の移動にも関わった。旅の安全が改善した場合と、征服で強制移動させられた場合は区別する。

支配、交易、職人、強制と文化交流の全体像。 学問の支援、道路と駅、各地の助言者。

史料だけでは分からないこと

駅の網は全旅人の自由や安全を保証しない。

理解を確かめる

答えを選ぶと解説が表示されます。本文や資料を読み返しながら考えてみよう。

1. ある職人が遠方の宮廷で働いた。交流の成功例とだけ紹介する前に何を調べる?

参考資料

  1. 世界史の中のモンゴルColumbia University

    支配、交易、職人、強制と文化交流の全体像。

  2. モンゴルによる交流と建設Columbia University

    学問の支援、道路と駅、各地の助言者。

  3. 後継者と征服の拡大Columbia University

    オゴデイ期の征服と継承の問題。