
地中を通って届く江戸の水
上水ができたら、各家に蛇口が付いた?

街の外から、水の通る道をつなぐ。
町の外から水を引く
江戸の上水は都市へ水を導き、暮らしを支える設備だった。川が近くにあることだけで、その水をどこでも飲めるわけではない。水源と使う場所を結ぶ工夫が要る。
長屋の外にも暮らしの設備がある
長屋で水をくむ場所は、必ずしもその下の地下水だけを使っていたわけではない。江戸には遠い水源から引いた上水を、町の地下の樋へ分ける設備があった。長屋でくむ一桶の水も、取水や水路の管理、町への配水、設備の修理を担う人々が届けていた。人が密集する町の暮らしは、部屋の外にあるこうした仕事に支えられていた。
木造の家が近くに並ぶ場所では、火の扱いと道の見守りも暮らしに関わる。町の木戸、番屋、火の見は、誰が出入りし、何が起きたかを確かめる場所だった。現代の家のように、生活に必要な設備が一戸の中にそろっていたわけではない。住人たちは室内の道具に加え、通りや共同の場所にある設備を使って暮らしていた。
水源から町へ水を届ける
1652年、幕府は多摩川の水を江戸へ引く計画を立てた。1653年に水路を開き、1654年に地下の配水設備を整えて市中へ給水した。取水点から四谷までの開いた水路と、その先で町に分ける石樋や木樋は役割が違う。幹線で運んだ水を町の石樋や木樋へ分け、住人が使う場所まで届けていた。
水は標高差を利用して流れたため、経路の高さを測り、傾きを整える必要があった。川に近くても、必要な傾きがなければ水は届かない。水源と幹線、町の配水設備を結ぶ土木工事が給水を支えた。水場で桶を満たすまでに、水は遠くの取水点から長い水路を流れてきていた。
店の商品を海と川で運ぶ
江戸の商店へ届く品は、近郊の生産と遠方からの海運を組み合わせていた。上方からは木綿や油、紙などが船で運ばれ、他の地域で作られた品が江戸の暮らしに使われた。品を港へ下ろしてから店へ届けるにも荷役と運搬が要る。海が輸送を担い、川や通りがその先を結ぶことで、同じ町に違う産地の商品が集まった。
水路を修理する人がいて、船荷を下ろす人や店で分けて売る人がいた。大量の商品を消費する江戸には、こうした供給をつなぐ仕事も集まっていた。長屋の食事や買い物は、遠くの水源や生産地から届く水と商品に支えられた。江戸の豊かな暮らしは町の外の供給にも依存していた。
前後の流れ
- 1652年
幕府が多摩川の水を江戸へ引く計画を立てる。
- 1653年
玉川上水の開削工事を行う。
- 1654年
地下の配水管を整え江戸市中へ給水する。
- 19世紀前半ごろ
水路と海運に支えられた江戸の町人生活。
言葉の意味
- 上水
- 生活用水を都市へ運ぶ水路。
- 長屋
- 複数の住まいが連なる都市の住宅形式。
- 菱垣廻船
- 大坂と江戸の間で木綿、紙、油などを運んだ廻船。
史料から分かること
市中の水は遠い取水点から届いた。
水道局が羽村から四谷大木戸の経路を示す。
家庭ごとに現代の蛇口があったとは言えない。
海運が江戸の消費を支えた。
博物館の商業展示が廻船と運搬品を扱う。
江戸の物を全て市内産と考えない。
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参考資料
- 常設展・江戸の商業と町江戸東京博物館
長屋と町の施設、菱垣廻船、近郊の物流、江戸後期の商い。
- 玉川上水を巡る江戸東京博物館
玉川上水の経路、距離、市中への水供給。
- 玉川上水東京都水道局
羽村から四谷への約43キロの水路と、市中の地下に設けた石樋・木樋の配水管。

