占領下で草案を検討する
日本国憲法は敗戦後の占領下で、日本政府、GHQ、議会などが関わる過程から成立した。条文が決まるまでには、草案を提出し、内容を検討して交渉する作業があった。草案と最終的な条文には、それぞれ制定過程の異なる段階が記録されている。国家の原則は、こうした政治の過程を経て制度に組み込まれた。
1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行された。公布後の約半年は、新しい制度を動かすための準備期間だった。条文が公にされた後にも、その原則で政治や暮らしを動かす準備が続いた。制度の変更は、役所や裁判所、学校などがその原則で働けるよう整える仕事を含んでいた。
主権、権利、国家の機関を変える
国民主権の原則では、国家の権威は国民に由来する。天皇は象徴と位置づけられ、国政に関する権能を持たない。明治憲法での天皇の位置と同じではない。憲法の原則のもと、国会は法律、内閣は行政、裁判所は司法に関わる役割を持ち、機関ごとの仕事と権限が定められた。
基本的人権の尊重は、権利の名前を増やすだけの改正ではない。法の下の平等、個人の尊重、自由などを国家の権力との関係で保障する原則になる。平和主義は戦争と武力行使に関わる原則を示す。これらの原則をもとに、誰が何を決められるか、国家の権力をどう制限するかが条文で定められた。
原則を家庭、学校、役所へつなぐ
家庭では、戸主が家族を統率する旧民法の仕組みが問題になった。憲法第24条の個人の尊厳と両性の平等に合わせ、戸主と家族を定める制度を見直した。1947年5月3日には民法の応急措置も施行された。家族と暮らすことを禁じたのではなく、誰が家族を法的に統率し、どの原則で親族関係を定めるかを変える改革だった。
学校では、義務教育を三年延ばす方針があっても、財源の問題で実施時期がなかなか決まらなかった。1947年2月26日に計画を閣議決定し、四月から新しい中学校を置く6・3制が始まった。憲法の原則を教室へ届けるには、学ぶ年数を法律で定めるだけでなく、実施する予算と準備が要る。公布から施行までの半年には、こうした家庭や学校の具体的な制度づくりが進んでいた。
前後の流れ
- 1946年・制定過程
政府、GHQ、議会などが草案と条文を検討。
- 1946年11月3日
日本国憲法を公布。
- 1947年5月3日
憲法が施行される。
言葉の意味
- 国民主権
- 国の政治の権威を国民に置く原則。
- 象徴天皇
- 憲法第一条が定める日本国と国民統合の象徴。
- 関連法
- 憲法の原則を具体的な制度へつなぐ法律。
史料から分かること
公布と施行は別の日である。
条文と資料展示が1946年と1947年を示す。
同じ出来事の暦換算ではない。
制定後も制度整備が続いた。
公文書館が民法、教育、労働などの関連資料を紹介する。
原則が条文にあれば直ちに全生活が変わるとはしない。
理解を確かめる
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参考資料
- 日本国憲法・条文国立国会図書館
公布日、施行の規定、国民主権、人権、戦争放棄、天皇の位置づけ。
- 再建日本の出発国立公文書館
占領下の制定過程、公布に伴う施策、1947年の施行と制度改革。
- 民法と刑法・再建日本の出発国立公文書館
第24条を受けた戸主・家族制度の見直し、1947年4月公布・5月3日施行の民法応急措置。
- 教育刷新・6・3制の実施国立公文書館
財政上の問題と実施時期の検討、1947年2月26日の閣議決定、同年4月からの実施。