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1955年4月

バンドン会議と脱植民地化

アジアとアフリカの代表が集まり、大国だけではない世界の関係を語った。

植民地から独立した国々が集まる

冷戦下で新たに独立した国々は、米ソの対立とは別の課題も抱えていた。ビルマやインド、インドネシア、パキスタン、セイロン(現在のスリランカ)が呼びかけ、1955年に29政府の代表が集まった。欧米と同盟をもつ国も独立直後の国も、独立や差別、開発について話し合った。共有する議題を作るには、異なる利害の間で交渉が必要だった。

違う立場から共通の原則へ

主権尊重と不干渉は、他国に進路を決められないための原則だった。1954年のインドと中国の交渉で示された平和共存の原則も土台になり、周恩来はバンドンで共通点を探した。最終声明には経済と文化の協力、人権、差別の問題も盛り込まれた。共通の原則に合意しても、各国の外交方針まで統一されたわけではなかった。

会議の影響と続いた違い

会議は後の非同盟の動きへ影響したが、各国の外交まで同じにはしなかった。また、大国は自決を支持する理念と、植民地を持つ同盟国との関係の間で矛盾を抱えた。バンドンの主張は、そうした隔たりにも向けられていた。

写真、映画、議事の文書は、集まった代表の姿と交渉の内容を別の方法で伝える。2015年のアーカイブの登録は、それを保護して使える資料として残す現代の段階だ。会議の記録は、当時の交渉や理念を後の世代が調べるためにも保存されている。

前後の流れ

  1. 1954年

    インド・中国の平和共存の原則。

  2. 1955年4月18日

    会議開幕。

  3. 1955年4月24日

    会議閉幕。

  4. 2015年

    会議アーカイブが世界の記憶に登録。

言葉の意味

脱植民地化
植民地支配から離れる政治的過程。
主権尊重
他国の統治の権限を尊重する原則。
不干渉
他国の内政へ介入しない原則。

史料から分かること

独立したばかりの国にも異なる政治体制と課題があった。29代表団を一枚岩と考えず、大国以外の声が集まった場として読む。

29か国・地域の代表、主権尊重・不干渉・脱植民地化。 1955年4月18〜24日の会議と写真・映画・議事関係の原資料。

史料だけでは分からないこと

参加者の制度や利害は同じでなかった。

主権尊重や不干渉は、相手の違いを残したまま協力するための原則だった。合意できた言葉と各国の政策は分けて確かめる。

29か国・地域の代表、主権尊重・不干渉・脱植民地化。 1955年4月18〜24日の会議と写真・映画・議事関係の原資料。

史料だけでは分からないこと

公式の原則はその後の実行を自動で証明しない。

理解を確かめる

答えを選ぶと解説が表示されます。本文や資料を読み返しながら考えてみよう。

1. 共通の原則で合意した29政府の外交を、同じ一陣営として描いてよい?

参考資料

  1. Bandung Conference (Asian-African Conference), 1955U.S. Department of State, Office of the Historian

    29か国・地域の代表、主権尊重・不干渉・脱植民地化。

  2. Asian-African Conference Archives — nomination formArsip Nasional Republik Indonesia / UNESCO

    1955年4月18〜24日の会議と写真・映画・議事関係の原資料。