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紀元前30年

クレオパトラとアレクサンドリア

ローマ支配の直前のエジプト。女王の伝説だけでなく、港と王朝の歴史を見る。

ギリシア系王朝が治めたエジプト

クレオパトラの王朝はギリシア系だが、王はエジプトのファラオとしても示された。都アレクサンドリアの文化と、各地の神殿の伝統を使う必要があったからだ。女王は、二つの文化の伝統を用いて統治してきた王朝を受け継いでいた。

都アレクサンドリアには、ギリシア風の街路配置、宮殿、図書館、王室の祭祀の神殿があった。港の巨大な王像は、船で来る人にファラオの形式で王権を示した。都には外交に用いるヘレニズム文化と、エジプトに根付く王権の表現が共存していた。

王権を表す二つの伝統

神殿の石像はその場で王権を示し、貨幣は売買とともに別の土地へ移った。顔の描き方が異なるのは、容姿の記録だけを目的にした品ではないためだ。誰に、どこで、どんな権威を伝えるかが、姿の選び方に関わった。

セラピスはオシリス、アピス、プタハに関わる要素をギリシア的な造形へ結びつけた神だった。王妃の表現も神聖な王権を次世代へ伝える役割に関わる。異なる様式は偽物と本物の違いではなく、神、王、継承を示す目的の違いとして読める。

ローマとの関係が変わる

ローマの内戦が地中海の支配を変え、紀元前30年にプトレマイオス朝は終わった。恋愛の悲劇だけではこの政治の転換は説明できない。ローマ時代にもエジプトの神像や王権の形式は使われ、さらに後の文学や19世紀の彫刻が別の女王像を作った。

前後の流れ

  1. 紀元前332年

    アレクサンドロスがエジプトを征服。

  2. 紀元前305年

    プトレマイオスが王を称する。

  3. 紀元前30年

    クレオパトラの死と王朝の終わり。

言葉の意味

プトレマイオス朝
アレクサンドロスの後継者に由来するエジプトの王朝。
王権表現
像や儀礼で支配者の立場を示すこと。
アレクサンドリア
王朝の重要な都市で宮廷と交易の拠点。

史料から分かること

複数の造形の伝統があった。

プトレマイオス朝美術の解説と像。

史料だけでは分からないこと

すべての住民が同じ文化だったことは示さない。

プトレマイオス朝の王像は王権を示す表現でもある。

Metの王朝解説が、港のファラオ形の王像と王妃による王権継承の表現を説明する。

史料だけでは分からないこと

そのまま顔の写真のように扱えない。

理解を確かめる

答えを選ぶと解説が表示されます。本文や資料を読み返しながら考えてみよう。

1. 同じ王朝にギリシア風とエジプト風の王像がある。何を先に調べる?

参考資料

  1. Egypt in the Ptolemaic PeriodThe Metropolitan Museum of Art

    プトレマイオス朝、アレクサンドリアの文化、紀元前30年のローマ支配。

  2. Cleopatra — William Wetmore StoryThe Metropolitan Museum of Art

    19世紀の彫刻と後世のクレオパトラ像。