サハラを越える富と巡礼
サハラ交易の町には、北の塩、南の金、穀物や家畜とともに写本も届いた。マンサ・ムーサの1324年の巡礼は王国を広く知らしめたが、その一度の旅で学問都市が完成したのではない。商いによる人と材料の移動が、世代を越えて本を使う仕事を支えた。
本を写し学ぶ都市
本を写し、買い、教え、保存する人々が知識を伝えた。学ぶ場でもあるジュンガレイベル、サンコーレ、シディ・ヤヒヤの三大モスクには、建物を守る仕事も要る。16世紀後半には裁判官でイマームのアル=アキブが修築と拡張に関わった。教師と写し手だけでなく、土の建築を保つ人々も学問都市を支えていた。
世代を越えて受け継がれた学問
15〜16世紀の繁栄を、1324年の王の巡礼と同じ時点に置くことはできない。後の教師、写し手、支援者、建物を補修する人々が町を継いだ。写本と土の建築は、違う材料を違う方法で守りながら伝えられてきた。
前後の流れ
- 1324年
マンサ・ムーサの巡礼。
- 15〜16世紀
学問都市として繁栄。
- 1988年
世界遺産登録。
言葉の意味
- 巡礼
- 信仰上の聖地へ向かう旅。
- 写し手
- 手で本を写して伝える人。
- サハラ交易
- 砂漠を越え塩や金などを交換する活動。
史料から分かること
王の旅は宗教的な巡礼であるとともに、地域外との接点だった。金の量だけを話題にせず、建物や学問を支えた使い方にも注目する。
モスク、サハラ交易、15〜16世紀の学問都市。 マンサ・ムーサの1324年の巡礼とモスクの支援。
史料だけでは分からないこと
富の描写は人口全員の豊かさを示さない。
15〜16世紀の学問の繁栄は1324年の巡礼より後だ。王一人の行動と長い都市の発展を分けると、写し手や教師の仕事が見える。
モスク、サハラ交易、15〜16世紀の学問都市。 マンサ・ムーサの1324年の巡礼とモスクの支援。
史料だけでは分からないこと
残る本だけで非識字者の経験は説明できない。
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参考資料
- TimbuktuUNESCO World Heritage Centre
モスク、サハラ交易、15〜16世紀の学問都市。
- Arts of Africa — inside the exhibitionThe Metropolitan Museum of Art
マンサ・ムーサの1324年の巡礼とモスクの支援。

