開港で必要になった行政と防備
1854年に箱館の開港が決まると、幕府は外国への応対と蝦夷地の統治を行う奉行所を置いた。港へ外国船が来ることは、商売だけでなく交渉や警備の仕事が増えることでもある。山の麓の奉行所を内陸へ移すため、五稜郭と内部の役所が整えられた。五稜郭は要塞であるとともに、開港後の外交や統治を担う場所だった。
奉行所の建築用の木材は秋田・能代で加工され、船で運ばれて組み立てられた。北の役所をつくる仕事にも、海を使う材料の供給があった。1864年には奉行所の業務が始まったが、郭内工事や付属建物がすべて完成したのは1866年だった。郭内の工事が続く間にも、役所では既に日々の政務が行われていた。
政務の施設が戦争の拠点へ変わる
五つの突出部を持つ土塁と堀の内側には、政務を行う建物があった。外形だけを見れば守りの施設だが、中では統治と外国への対応が行われた。守りのための土木技術と、文書を扱う行政の仕事が一つの施設に集まっていた。要塞があるからといって、最初から後の箱館戦争を目的に建てたわけではない。
1868年に旧幕府軍が占拠すると、幕府が建てた行政の場は新政府と戦う拠点になった。建設時の目的と、後の使用者の目的が変わったのである。港の軍艦や周辺の陣地が関わるため、星形の内部だけで戦争は完結しない。五稜郭は港や周辺の陣地と交通で結ばれ、海と陸に広がる戦場の一拠点となった。
解体された役所と残った庫
1869年に箱館戦争が終わり、1871年には奉行所など多くの建物が解体された。敗戦の後に建物がそのまま日常の役所へ戻ったわけではない。札幌へ移る開拓使の庁舎に木材が必要とされたことも解体に関わった。箱館の行政を担った建物の木材が、札幌の新たな行政拠点に必要とされていた。
現在の奉行所は2010年の復元で、土蔵は築造当時から伝わる建物である。奉行所の復元では図面や写真、発掘成果を照合し、失われた空間を再現した。同じ敷地に、開港時の建設と箱館戦争、戦後の解体、後世の調査や復元の跡が残っている。
現在の箱館奉行所は、当時の庁舎全体の約三分の一を復元したものだ。残りの部分は地面に部屋割を示している。建物の外にある区画も、元の役所の広さを考えるための展示なのである。復元された建物で当時の室内を確かめ、地面の部屋割で役所全体の広さをつかめるようになっている。
前後の流れ
- 1864年
奉行所庁舎がほぼ完成し、業務を開始する。
- 1866年
郭内工事と付属建物の工事がすべて完成する。
- 1868年
旧幕府軍が五稜郭を占拠する。
- 1869年
箱館戦争が終結する。
言葉の意味
- 奉行所
- 幕府の行政を担った役所。
- 稜堡
- 防御のため外側へ張り出す部分。
- 旧幕府軍
- 幕府の終わりの後に新政府と戦った勢力の呼称。
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参考資料
- 五稜郭の歴史・築造から大政奉還函館市
奉行所移転の背景と1864年の完成。
- 五稜郭の歴史・箱館戦争から現在函館市
1868〜1869年の戦争、解体、兵糧庫、2010年の復元。
- 五稜郭内の建物と遺構函館市
1864年の奉行所業務開始、1866年の郭内全工事完成、輸送した木材、1871年の解体と2010年の復元。

