PASTEXPERIENCE HISTORY

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紀元前1473〜1458年頃

ハトシェプストはどう王を示したか

王像と神殿から、ハトシェプストの統治をたどる。

摂政から王へ進む

王像は男性の装束と付けひげをまとっているが、銘文には女性形の文法が残る。ハトシェプストは幼いトトメス3世の摂政を経て、共同統治する王となった。伝統的な王の姿を採り入れたのは、その地位を示すためでもあった。

高官センエンムトは王妃の財産を管理し、娘ネフェルウラーを養育し、後にアメン神の財産の大管理者となった。宮廷には土地や物資の管理を担う役人がいた。共同統治を支えたのは、宮廷と神殿をつなぐこうした人々の仕事だった。

交易と神殿をつなぐ事業

プントなどとの交易は神殿の事業へ資源を届けた。デイル・エル=バハリには、女性の衣装と王の頭巾をもつ座像、男性の王の形式の巨像、スフィンクスが置かれた。供物を受ける場所や行列の経路に応じて姿を使い分け、王の権威を空間全体で示した。

王像を壊し記憶を書き換える

名と像の破壊は死後およそ20年を経た時期と説明され、動機は確定していない。座像の胴体は1869年、別の破片は20世紀に見つかり、1998年に再接合された。今見ることができる像は、古代の破片を探し出してつなぎ直した修復の成果でもある。

前後の流れ

  1. 紀元前1473年頃

    王として共同統治を行う時期の始まり。

  2. 紀元前1458年頃

    統治の終わり。

  3. 1998年

    座像の胴体と別所蔵の破片を再接合。

言葉の意味

摂政
若い王などに代わり統治を担う立場。
銘文
像などに刻まれた名前や説明。
共同統治
複数の王が同時に王権を担うこと。

史料から分かること

摂政は幼い王に代わって仕事を担う立場だった。そこから王の称号へ進んだ変化を追うと、女性の統治を単なる例外の物語にしない。

共同統治、交易、神殿と死後の像の破壊。 王像の形式、女性形の銘文、破片の再接合。

史料だけでは分からないこと

摂政と王としての地位を区別する。

像の服装と銘文は一緒に見る必要がある。男性形の王像に女性形の言葉が残ることは、本人を隠す意図と単純に結びつけられない。

共同統治、交易、神殿と死後の像の破壊。 王像の形式、女性形の銘文、破片の再接合。

史料だけでは分からないこと

像から内心や会話を復元できない。

理解を確かめる

答えを選ぶと解説が表示されます。本文や資料を読み返しながら考えてみよう。

1. 男性形の王像に女性形の銘文がある。最も適切な説明は?

参考資料

  1. 女王からファラオへThe Metropolitan Museum of Art

    共同統治、交易、神殿と死後の像の破壊。

  2. ハトシェプストの座像The Metropolitan Museum of Art

    王像の形式、女性形の銘文、破片の再接合。