東ポリネシアから渡る
陸が見えない海を越えるには、船に加え、星、風、海流の知識と食料の準備が要る。東ポリネシアからの定住は、考古学では1250〜1300年ごろと理解される。ヨーロッパ人が土地を知る1642年より前に、すでに暮らしがあった。航海の伝承と、火の跡や骨の測定は、異なる方法でその早い歴史を伝える。
到着してから暮らしを作る
航海に成功しても、出発地の作物がそのまま育つとは限らない。クマラは北島の暖かい地域で栽培されたが、パンノキやココヤシは新しい気候に合わなかった。南島では狩猟採集の役割が大きい。釣り針、おもり、暦などの知識も使い直しながら、土地に合う食料の得方へ暮らしを組み直した。
土地と祖先を結ぶ記憶
祖先の航海を語る伝承は、年代だけでなく、人と土地のつながりを伝える。遺物の測定と同じ役目ではない。環境が変わり、祖先につながる集団も歴史を重ねる中で、定住の記憶が受け継がれてきた。
モアの狩猟と後の絶滅は、食料資源が無限ではなかったことを示す。社会は祖先につながる集団とワカパパという系譜の語りをもった。「マオリ」の集合的な呼び名が広がるのはヨーロッパ人との接触後だ。人々の集団や呼び名も、暮らしや環境とともに変化していった。
前後の流れ
- 1250〜1300年頃
東ポリネシアからの計画的な航海と定住。
- 14世紀以降
地域の気候と食料に合わせて栽培・漁労・狩猟を組み合わせる。
- 1642年
ヨーロッパ人がこの土地の存在を知る。
言葉の意味
- 東ポリネシア
- アオテアロアへの移住につながる太平洋の島々の地域。
- 定住
- 到着した土地に暮らしの場を築くこと。
- 口承
- 語りを通して受け継がれる記憶や知識。
史料から分かること
食料と水の準備、星や風の知識が遠距離航海に関わる。移住を偶然漂着の一言にせず、海を移動する技術として考える。
1250〜1300年頃の東ポリネシアからの計画的な航海と定住。 海岸の資源と各地への移動、マオリの食料生産。
推定年代は全船の到着日を示さない。
島に着いても以前の環境と同じではなかった。海岸資源の利用と食料生産を組み合わせ、土地に合う生活を作った。
1250〜1300年頃の東ポリネシアからの計画的な航海と定住。 海岸の資源と各地への移動、マオリの食料生産。
地域ごとの食料利用には違いがある。
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参考資料
- History — Māori arrival and settlementManatū Taonga — Ministry for Culture and Heritage
1250〜1300年頃の東ポリネシアからの計画的な航海と定住。
- Te mahi kai — food production economicsManatū Taonga — Ministry for Culture and Heritage
海岸の資源と各地への移動、マオリの食料生産。
- アオテアロアの定住年代Te Ara Encyclopedia of New Zealand
東ポリネシアからの1250〜1300年頃の到来と定住の考古学的痕跡。
