PASTEXPERIENCE HISTORY

本能寺、江戸、ポンペイなどの言葉で検索できます。

場所から探す

1641〜1859年|出島のオランダ商館

出島で海外とつながる

人工の島で行われた貿易と情報のやり取りを、復元された町から考える。

動かしてわかる歴史

海外の知らせが江戸へ届くまで

同じ知らせでも、話す言葉と読む言葉が違ったら?

出島の商館に船から荷と知らせが届く。港は交易と情報の入口になる。
01商館に届く
オランダ船商館届いた知らせ

知らせは、まず港と商館に集まる。

品物と知らせを運ぶ交易船

1641年、平戸のオランダ商館は出島へ移された。出島の役目は輸入品を受け取ることだけではなく、海外の事情を幕府へ伝える窓口でもあった。

図解の根拠と見方

工程や制度を説明するためのイメージです。人物・建物・配置は実物の復元ではありません。断面や別枠の場面は、見えない部分や別の場所を説明しています。

出島の歴史 ↗

商館に届く

100%

拡大した画像はスクロールして見られます。

出島の商館に船から荷と知らせが届く。港は交易と情報の入口になる。

出島の商館に船から荷と知らせが届く。港は交易と情報の入口になる。

ポルトガル人のための島からオランダ商館へ

江戸幕府は海外の商品を貿易で得ながら、キリスト教の布教と人の往来を統制した。長崎の人工島である出島は、そのための施設だった。海に面した島で外国人を居住させ、町への出入りを限れば、接触を管理できる。品物の取引は認めつつ、居住者が自由に移動することは制限した。

出島は1636年、長崎の二十五人の町人が共同で出資して築いた。ポルトガル人のための島だったが、1639年の追放後はいったん無人となり、1641年に平戸からオランダ商館が移った。商人の費用で造られた施設を、幕府は居住者と使い方を変えながら、海外との接触の管理に用いた。

船の荷と海外の知らせが通る順序

船が来ると、出航地や乗組員を調べ、荷を検査した。品物を運び出した後には入札も行われた。砂糖や織物が店へ届くまでに、船乗りと荷役を担う人々、商人、役人が順に関わった。通訳が意思疎通を助け、帳簿で品物を確かめる。海外商人と日本の買い手の間には、こうした多くの手続きと作業があった。

通詞は通訳とともに、海外の知らせを文書にまとめる作業を担った。その情報は風説書として江戸へ送られ、幕府が判断する際の材料になった。長崎には貿易品とともに、海の向こうの情報も届いていた。港で聞いた話を翻訳して記録し、役所が確認できる形で伝えるのも重要な仕事だった。

貿易品も島の役割も変わった

初期には生糸と銀の取引が中心だったが、後には銅や砂糖、書籍などが重要になった。オランダ商館へ来る船も、オランダ国内で作られた品だけを積んでいたわけではない。アジア各地の港で集まった商品が長崎に運ばれた。日本は出島を通じて、ヨーロッパだけでなくアジアの広い流通ともつながっていた。

1859年に商館が廃止され、外国との関係を管理する制度も変わった。後の埋立てで出島の周囲の海はなくなり、現在は調査と復元によって当時の区画が示されている。かつての島では人の接触を厳しく制限したが、その中でも貿易と情報のやり取りは続いた。小さな島を窓口に、広い範囲の商品と知らせが出入りしていた。

前後の流れ

  1. 1636年

    人工島の出島が完成。

  2. 1639年

    ポルトガル人が追放される。

  3. 1641年

    オランダ商館が平戸から移る。

  4. 1859年

    オランダ商館が廃止される。

言葉の意味

商館
商人が滞在し、保管や取引を行う拠点。
通詞
言語を置き換え、交渉や情報伝達に関わる人。
風説書
海外の情報を取りまとめて幕府へ届けた報告。

史料から分かること

完成年とオランダ人入居年は異なる。

1636年と1641年が歴史解説で区別される。

史料だけでは分からないこと

初めからオランダ人のためだけの島としない。

現在の風景は調査による復元を含む。

市の復元事業が模型や史料の照合を説明する。

史料だけでは分からないこと

景観全体を江戸時代からそのまま残るものとしない。

理解を確かめる

答えを選ぶと解説が表示されます。本文や資料を読み返しながら考えてみよう。

1. オランダ船が持ち込んだ知らせを江戸へ送るまでに、通詞は何を担った?
この場所の物語を体験する4章・全編無料

参考資料

  1. 出島の歴史長崎市・出島

    1636年の築造、1641年の商館移転、風説書、1859年の廃止。

  2. 復元整備事業長崎市・出島

    埋め立て後の地形、復元事業、模型とほかの資料の照合。