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ハトシェプストを描いた創作肖像

紀元前15世紀(在位は前1473〜1458年ごろ)

ハトシェプスト

エジプト第18王朝の王

幼いトトメス3世の摂政から共同統治者となった女性の王。神殿や彫像に王の称号を刻み、自らの統治を正当なものとして示した。

摂政から自分の名で治める王へ

夫トトメス2世の死後、ハトシェプストは幼いトトメス3世の摂政となった。やがて共同統治者として、自分にも王の称号を用いる。神殿や彫像には自らの王名を刻み、王として統治する立場を公に示した。

高官センエンムトは財産の管理や娘ネフェルウラーの教育に関わり、アメン神に関する有力な職務も担った。王家への近さが、管理する財産や役職に結びついていた。彼の彫像はその地位を示すが、王との私的な恋愛関係を証明する資料ではない。

神殿と彫像で示す権威

彫像には女性の姿を示すものと、王に用いられる装いを示すものがある。王冠、ひげ、称号は身分を伝える表現で、日常の服装や顔をそのまま写したものとは限らない。

女性の姿を残した坐像でも、王座の銘文には王としての称号が刻まれる。足元の九つの弓は敵を象徴する表現で、実際に九つの国を征服した一覧ではない。衣服、ポーズ、文字を一緒に読むと、像が女性か男性に見えるという話だけでは終わらない。性別の表現と、王の権威を示す共通の決まりが一つの作品に組み合わされている。

デイル・エル・バハリの神殿やプントとの交易は、この治世を考える重要な事業である。建築と交易は無関係ではなく、遠くから来る物や富を儀礼と王の表現へ用いた。王が航海や彫刻を一人で行ったわけではなく、船の乗員、職人、資材を管理する役人の仕事が必要だった。記念碑の王名の背後に、事業を担う組織があった。

プントとの交易と像の再発見

プントへの遠征を描く浮彫は、王が示そうとした交易と繁栄の像を伝える。そこに描かれた内容は貴重だが、遠征に参加した全員の経験を記す日記ではない。

ハトシェプストの死後しばらくして、像の破壊や名前の削除が行われた。ただちに憎しみからすべてを壊したとする説明は、時期と動機の不確かさを飛ばしてしまう。破壊された像の断片が発掘で見つかり、つなぎ直されて現在の展示へ至った。王権が作った姿と、王権が消そうとした姿の両方を、残る物から調べられる。

現在の美術館にある像には、発掘場所と制作時期、修復の記録がある。神殿で儀礼に使われた時代と、近代の発掘後に鑑賞される時代では役割が変わった。見た目が整った一体だけで理解せず、断片の出土状況も確かめたい。ハトシェプストの歴史は女性が王になった話に加え、権威を表す物が失われ、再び読まれるまでの歴史でもある。

生涯の転機

  1. 紀元前15世紀前半

    王妃として王家の政治に関わる。

  2. トトメス2世の死後

    幼いトトメス3世の摂政となる。

  3. 紀元前1473年頃

    王の称号を持つ共同統治者となる。

  4. 紀元前1458年頃

    治世が終わる。

  5. 1920〜1930年代(発掘史)

    デイル・エル・バハリで彫像の断片が発掘・再構成される。

後世に残したもの

王の称号を刻んだ像は、死後に壊され、後の発掘でつなぎ直された。支配者が権威を示した物に、その記憶を消す政治と、再び発見する歴史が重なっている。

参考資料

ハトシェプスト:女王から王へ

The Metropolitan Museum of Art · 摂政から共同統治者への変化と在位年代。

ハトシェプスト坐像

The Metropolitan Museum of Art · 王の称号、女性の表現と像の出土場所。

肖像は時代を参考に描いた創作です。本人の容貌を確定する資料ではありません。