PASTEXPERIENCE HISTORY

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紀元前3000〜1500年頃(都市ごとに異なる)

インダス文明の都市と水

井戸や排水路は何のために造られたのか。都市の暮らしを水の設備からたどる。

水が集まる場所に都市を作る

家が何百軒も集まれば、水をくむ場所だけでなく、使った水の出口も要る。モヘンジョダロの井戸と排水路は、その毎日の課題に答えた設備だ。一方、乾燥したドーラビーラでは、雨や季節的な流れを蓄える貯水池が重要だった。

ドーラビーラの市街は城塞やその付属区画、儀礼の広場、中部市街、下部市街から成る。貯水池は城塞の東と南に置かれた。街を囲う壁や住居、水の設備を地形に合わせて配置した跡に、都市計画の工夫が残っている。

水を運ぶ人と品を作る人

井戸で水をくみ、排水路で流し、貯水池に蓄える。それぞれの設備に役割があった。ドーラビーラは二つの季節的な川と貯水施設を利用した。水の来る時期に合わせた仕組みの近くで、職人は素材を加工していた。

工房にはビーズのほか、銅や貝、半貴石、象牙などの資料が残る。材料ごとに、削る技術や磨く技術、金属加工の技能が必要だった。完成品と制作現場の跡は、専門の職人が都市に集まっていたことを伝えている。地元で作られた品々は、遠方との交易にも使われた。

つながっていても違う都市

整った街路があっても、住居の規模や質は同じではなかった。共通の設備を使う人々にも暮らしの差があった。住宅と工房に加え、墓地を調べることで、生産や水管理だけでは分からない社会の営みも見えてくる。

墓地には遺体の埋葬だけでなく、死者を記念する墓が多い。都市は生きる人の設備と死者への対応を両方もっていた。1968年の発見後、長く続いた発掘は、水管理、工房、墓地を同じ土地の関係として調べてきた。墓地は、住居や工房とは異なる面から都市の暮らしを伝えている。

前後の流れ

  1. 紀元前3000年頃

    ドーラビーラの居住史が始まる時期。

  2. 紀元前1500年頃

    ドーラビーラの長期居住の終わりの目安。

  3. 1968年

    ドーラビーラの遺跡が発見される。

言葉の意味

貯水池
水を集めて保存する設備。
排水
使用後の水や雨水を流す仕組み。
都市計画
住居・街路・公共設備の配置を考えること。

史料から分かること

都市には社会的な差があった。

住宅の規模と質の違いが残る。

史料だけでは分からないこと

住民一人一人の身分を特定する証拠ではない。

理解を確かめる

答えを選ぶと解説が表示されます。本文や資料を読み返しながら考えてみよう。

1. 二都市を比べる図に、井戸と排水路しか描かれていない。何を補う?

参考資料

  1. Archaeological Ruins at MoenjodaroUNESCO World Heritage Centre

    街路・住居・井戸・排水施設と都市生活。

  2. Dholavira: a Harappan CityUNESCO World Heritage Centre

    紀元前3000〜1500年頃の居住、貯水と都市計画、工房。