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710〜784年|途中に遷都の期間あり

平城京を動かす仕事

大路と役所の配置から、奈良の都がどのように動いていたかをたどる。

都と宮を分けて見る

平城宮で見つかった木簡には、地方から届く物資の荷札がある。都で官人が食事をし、儀式や政務を続けるためには、食料を受け取り、種類と送り元を確かめる仕事が欠かせなかった。710年に遷都した平城京には街路で区切った市街と、その北に役所があった。この都を、各地で生産し運ぶ人々が支えていた。

朱雀大路のような大きな道は、儀礼の場に見通しを与え、都市の区画を分けていた。左京と右京は、北から南を見る天皇の位置が基準である。北を上にした現代の地図では、左京が右側、右京が左側になる。都の配置には、天皇を中心に空間を整理する政治の秩序も表れている。

地方の物資を受け取り役所で処理する

木簡は細い木の板に文字を書いたもので、荷札や役所の記録として使われた。届いた品の種類と送り元を記せば、物資を受け取った後も管理できる。都の行政では、数を確かめて記し、保管する作業が毎日行われていた。地方から送られた品は、こうして役所で扱われ、都の暮らしや政務に使われた。

都には毎日食事をする官人や働き手がいて、建物の修理にも材料が要った。人や物資が集まる都は豊かになるが、送り出す地方には生産や運搬の負担がかかる。木簡に記された送り元の地名は、その負担を担った土地を伝えている。宮の儀式や政務は、遠い地域で働く人々にも支えられていた。

遷都と改築を繰り返した政治の中心

740年から政治の中心は恭仁京、難波京、紫香楽宮などへ移り、745年に平城京へ戻った。この間、大極殿を解体して別の都へ運ぶ工事もあった。平城京へ戻った後の大極殿は、以前とは別の位置に建てられた。二つの建物跡は、初めから同時に使った二つの儀式場ではなく、遷都に伴う移築と再編の履歴を示している。

784年に政治の中心が長岡京へ移った後も、平城京の土地や寺院の歴史は続いた。現在の門や宮殿は、礎石や柱穴、文献を調べて復元したものである。道路の跡と建物の配置に、物資を運んだ木簡を重ねると、都の日々の営みをたどれる。平城京は、地方から届く人と物資で維持された行政の都市だった。

前後の流れ

  1. 710年

    藤原京から平城京へ遷都。

  2. 740年

    恭仁京への遷都で平城京を離れる。

  3. 745年

    平城京へ戻る。

  4. 784年

    長岡京へ遷都。

言葉の意味

平城宮
天皇の住まい、儀式や政務の場を含む宮域。
朱雀大路
都の南北を通る中心の大路。
左京・右京
北から南を向く天皇を基準に呼ぶ都市の区分。

史料から分かること

平城京と平城宮は同じ範囲ではない。

公園の都市・宮域の図が両者を区別する。

史料だけでは分からないこと

現在の公園範囲も古代都市全体とは一致しない。

都は途中で平城京を離れた。

740〜745年の年表が複数の遷都を記す。

史料だけでは分からないこと

奈良時代を全部同じ都市で過ごしたとしない。

理解を確かめる

答えを選ぶと解説が表示されます。本文や資料を読み返しながら考えてみよう。

1. 物資に付いた木簡へ送り元を書くことは、都の役所の仕事にどう役立つ?

参考資料

  1. 平城京とは?国営平城宮跡歴史公園

    710年遷都、街路・宮域・左右京の位置と機能。

  2. 平城京の歴史国営平城宮跡歴史公園

    740〜745年の遷都と784年の長岡京遷都。

  3. 平城宮跡・平城京跡出土の木簡奈良文化財研究所

    荷札・付札、物資と出土地、木簡による行政と流通の具体例。