東ローマの都を征服する
1453年の征服は、空いた土地に都を造る仕事ではなかった。東ローマの政治と信仰、住民の暮らしが続いていた都市を、オスマン朝の都へ変える必要があった。城壁を越えて勝つことと、翌日から都市を治めることは別の課題だ。
330年から帝国の中心だった都の住民は、現代に「ビザンツ」と呼ぶ時代にも自分たちをローマ人と捉えた。ギリシア語を用い、キリスト教を信仰しながらも、ローマを受け継ぐ意識を持っていた。1453年以前の長い歴史を知ることで、新しい王朝が選んだ都市の政治と信仰の重みが分かる。
新しい宮廷が必要とした仕事
1459年に建設が始まったトプカプ宮殿は、君主の住まいと、記録や命令、制作を扱う拠点になった。役人、職人、材料を届ける人々が宮廷の仕事をつないだ。16世紀には、法の整備から「立法者」と呼ばれるスレイマン1世もここを用いた。宮廷は、征服した広い領域を日々治めるための行政の拠点でもあった。
受け継ぐ都市と変える都市
18〜19世紀には軍と行政の改革や領土の喪失が進み、1923年の共和国成立で国家の制度が変わった。1453年の勝利から近代までを一つの完成した統治として描けない。同じ都市を使い続けても、宮廷を中心とする政治と、その後の国家の仕組みは異なる。
前後の流れ
- 330年
コンスタンティノープルが帝国の中心となる。
- 1453年
メフメト2世による征服。
- 1459年
トプカプ宮殿の造営開始。
- 16世紀
オスマン宮廷の美術と建築が発展。
- 1923年
トルコ共和国が成立。
言葉の意味
- 東ローマ
- コンスタンティノープルを都としたローマ帝国の系譜。
- 宮廷
- 支配者と統治・儀礼・制作の関係者が集まる場。
- 征服
- 軍事力で都市や地域を支配下に置くこと。
史料から分かること
東ローマの人々はローマの歴史を引き継いでいた。後世の「ビザンツ」という名を、本人たちが使った国家名と混同しない。
1453年の征服と新首都、宮廷と工芸の展開。 東ローマの歴史、ローマ人という自己認識と1453年の首都陥落。
後世の呼称を当時の自己認識と区別する。
宮廷の需要は職人と材料を集めた。建築、陶器、金工の資料を読むと征服後にも続く人々の仕事が見える。
1453年の征服と新首都、宮廷と工芸の展開。 東ローマの歴史、ローマ人という自己認識と1453年の首都陥落。
宮廷美術だけで住民全員の生活は分からない。
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参考資料
- The Ottoman EmpireThe Metropolitan Museum of Art
1453年の征服と新首都、宮廷と工芸の展開。
- Byzantium (ca. 330–1453)The Metropolitan Museum of Art
東ローマの歴史、ローマ人という自己認識と1453年の首都陥落。
